大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)4244号 判決 1987年5月25日

原告

竹林伸幸

右訴訟代理人弁護士

分銅一臣

村田喬

在間秀和

被告

佐世保重工業株式会社

右代表者代表取締役

坪内壽夫

右訴訟代理人弁護士

和田良一

美勢晃一

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し、雇用契約上の権利を有することを確認する。

2  被告は原告に対し、二七三万三三四五円及び昭和五九年六月二五日以降本判決確定まで、毎月二五日限り、一箇月三〇万三七〇五円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、被告の負担とする。

4  2項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和三五年四月、被告に雇用された。

2  原告の昭和五八年五月以降同年七月までの平均賃金は、月額三〇万三七〇五円で、その支払日は、毎月二五日である。

3  被告は、昭和五八年八月二三日付けで原告を解雇したとして、原、被告間の雇用契約の消滅を主張し、原告に対し、同年九月分以降の賃金を支払わない。

よつて原告は被告に対し、原告が雇用契約上の権利を有することの確認並びに昭和五八年九月分以降昭和五九年五月分までの未払賃金総計二七三万三三四五円及び昭和五九年六月二五日以降本判決確定まで、毎月二五日限り、一箇月三〇万三七〇五円の割合による賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

賃金支払日を除き、その余の請求原因事実は、すべて認める(ただし、原告主張の平均賃金額は、通勤手当、昼食費補助等諸手当を含む額である)。

三  抗弁

被告は、昭和五八年八月二三日付けをもつて原告を懲戒解雇した。すなわち、

1(一)(1) 被告は、昭和五三年六月ころ、倒産の危機に直面したので、これを回避して再建するため、被告の代表者として現在の代表者を迎え、いわゆる来島グループの一員となつた。そして、被告は、その経営努力により、昭和五七年三月には累積債務を解消したが、なおいわゆる造船不況が継続することが予測され、また被告の機械、鉄構の陸上部門においては、現実の受注高が、毎年の受注計画、受注目標を下回る状態が継続していた。

(2) そこで被告は、昭和五八年五月末ころ、陸上部門において外販事業を始めることを企画し、同年七月二二日、機械営業及び鉄構営業担当者から原告ほか二三名を右外販部門担当者として選出し、同年九月七日、外販事業部を設置した。ところで被告の当初予定した外販事業の対象地は全国に及ぶところ、東北、北海道地区は、被告にとつて取引関係がなかつたのみならず、前記来島グループ内の他の企業も、同地区内においては外販事業が及んでいなかつた。

(3) そこで被告は、東北、北海道地区内で事業を行うについて、同地区の漁船の新造、修理状況、船主の船舶建造意欲、鋼材の一般的流通状況及び地域の開発計画の実情等を現地で調査することとし、昭和五八年八月、外販部門担当者のうち原告ほか二名の者を、右調査員に選出した。

(二)(1) 右東北、北海道地区の調査員の選出に当たり、被告は、機械部門の営業経験があり、機械、舶用艤装品の一般的知識がある係長以上の者の中から、当面一〇日間程度の出張をなし得る仕事上のやり繰りがつく者で、従来の経験からして一応調査及び報告能力を備えている者を選出するよう考慮した。

(2) 原告は、昭和三五年四月京都大学経済学部を卒業して被告に入社し、昭和四五年七月には係長となり、学歴、経験に不足はなく、またこれまで機械営業のほか企画室等において勤務し、他の二三名と共に外販事業のための研修を受けたもので、調査員選出当時手放せない特段の仕事を担当していたわけでもないので前記の基準に合致していた。

(三) そこで被告は、昭和五八年八月一七日原告に対し、同月一八日以降同月二九日までの間、東北、北海道地区の市場調査をするため、同地区への出張(以下「本件出張」という)をするよう命じた(以下、「本件出張命令」という)ところ、原告は、これを拒否した。

2(一)(1) 原告は、昭和三五年四月入社以来、昭和四五年四月に被告本社(東京)から佐世保造船所へ、昭和五〇年二月に佐世保造船所から大阪営業所への二回の配置転換を受けたのみであるが、その際、それぞれ異議を述べ、後者の場合には裁判所へ配転無効を理由とする仮処分申請をするなど、被告に対する非協力的な態度があつた。

(2) 被告は、昭和五八年七月七日以降同月一〇日までの間、外販事業準備のための研修会を実施し、原告にも参加するよう勧めたが、原告は右日程に日曜日が含まれており、同日は私用があること等を理由に、右研修会への参加を拒否するなど、被告の業務より個人事情を優先する態度があつた。

(3) 更に原告は、大阪営業所勤務中再三にわたり、労働組合活動等を理由に休暇をとり佐世保に旅行等していたが、その際、上司からの注意にもかかわらず、事前に休暇届を出して会社の都合をきくなどすることなく、一方的に当日郵送又は原告の妻からの電話による通報等による届出をなして休暇をとり、また右休暇中の業務の引継ぎも書面のみの不十分なものであり、被告の業務を軽視する態度があつた。

(二) そして本件出張命令についても、原告は、前記のとおりこれを拒否したが、その出張予定期間中である昭和五八年八月二〇日、自ら代表者となつて住民運動として子供達のミニキャンプを実施した。

3 被告は、以上のとおり、係長として他に範を示すべき原告が、被告の正当な本件出張命令に従うことを拒否し、また配転命令に対して異議を申し立て、或は研修会への参加を拒否し、更に一方的に休暇をとるなどした態度は、被告の達示に違反し、また、上長の指揮命令に反抗し職場の秩序を乱し、その情状特に重いものであるから、就業規則第六九条、第一三号、第一四号(その内容は、別紙記載のとおり)を適用して、昭和五八年八月二二日、原告に対し、同月二三日付けで懲戒解雇する旨の意思表示をした(以下「本件解雇」という)。

四  抗弁に対する認否

1(一)(1)ア 抗弁1(一)(1)の事実のうち、被告が倒産の危機に直面し、いわゆる来島グループの一員となつたこと、昭和五七年三月には累積債務を解消した事実は認めるが、被告の陸上部門の受注高が毎年の受注計画、受注目標を下回る状態が継続していた事実を除くその余の事実は否認する。

イ  被告が外販事業を企画したとされる昭和五八年六月には、被告は既に昭和五九年度までの仕事量を確保しており、また被告は、累積債務を解消した後、昭和五九年三月期決算において復配するに至つた。したがつて被告は何ら危機的状況にはなく、受注高が受注計画、受注目標を下回つた事実は、本来被告が一方的に受注計画、受注目標を著しく高く設定したことによるものである。

(右イの事実に対する被告の認否)

被告が昭和五八年六月には既に昭和五九年度までの仕事量を確保していた事実は認めるが、被告が昭和五九年三月期決算において復配した事実を除くその余の事実は争う。

(2) 同2の事実のうち、被告が原告を外販部門担当者として選定した事実及び被告の当初予定した外販事業の対象地が全国に及ぶところ、東北、北海道地区が被告にとつて取引関係がなかつたのみならず来島グループ内の他の企業も同地区内においては外販事業を及ぼしていなかつた事実を除くその余の事実は不知。

(3) 同(3)の事実のうち、被告が昭和五八年八月原告を調査員に選出した事実は認めるが、その余の事実は不知。

(二)(1) 同(二)(1)の事実は否認する。

(2) 同(2)の事実のうち、原告が基準に合致している事実は不知。その余の事実は認める。

(三) 同(三)の事実は認める。

2(一) 同2(一)(1)の事実のうち、原告がこれまで被告に対する非協力的態度をとつたとする事実は争うが、その余の事実は認める。

(二) 同(2)の事実のうち、原告がこれまで被告の業務より個人事情を優先する態度をとつたとする事実は争うが、その余の事実は認める。

(三) 同(3)の事実のうち、上司から注意があつた事実、原告が業務引継ぎを十分にしなかつた事実、被告の業務を軽視する態度をとつた事実は争うが、その余の事実は認める。

3 同3の事実のうち、被告が昭和五八年八月二二日原告に対し、その主張に係る就業規則を適用したとして懲戒解雇の意思表示をした事実は認めるが、その余の事実は否認する。

五  再抗弁

1  被告のなした本件解雇は、解雇権の濫用であり無効である。すなわち、

(一)(1) 被告に設置された外販事業部は、昭和六〇年一〇月又は同年一一月に廃止されており、そもそも前記のとおり被告はいわゆる危機的状況にはなく外販事業を企画する必要はなかつたのであり、したがつて本件出張命令も不必要であつた。

(2) 原告には、東北、北海道地区に対する土地勘が全くなく、したがつて、原告を同地区の調査員に選任すること自体適切でない。

(3) 本件出張は、一二日間という長期間に及ぶものであり、また、原告の勤務地である大阪からは遠方への出張であるにもかかわらず、原告に対する本件出張命令の告知は、出張日の前日になされた極めて唐突なものであり、しかも市場調査の内容、方法等が原告に明示されないままであり、本件出張命令の意図、目的に疑問がある。

(4) 原告と同時に出張を命じられた訴外藤川が、後日、釧路への配置転換を命じられたことから明らかなように、本件出張命令は、後日の配置転換を前提とするものであつた。

(5) 本件出張命令当時、被告が再審査申立人となり原告が被申立人となつている不当労働行為救済命令再審査事件が中央労働委員会に係属中であつたところ(中央労働委員会昭和五八年(不再)第二六号事件)、本件長期出張命令の終期の直後である同年九月一六日は、同委員会で審査が開始されることに予め決められていたのであつて、被告がこれを知悉しつつ本件出張命令を発したのは、原告の右事件のための準備活動を阻害する目的でなされたものである。

(6) したがつて、本件出張命令は、その必要性を欠き、人選に合理性を欠くのみならず、唐突に告知された不合理なものであり、さらに原告の配置転換等を目的とした不当なものである。

(二) 原告は、本件出張命令を受けた際、(一)(2)ないし(5)の各点につき、被告から納得のいく説明、確認が与えられれば、本件出張命令に従う意思があつたのであり、納得のいく説明をしないで、原告を業務命令違反者とするのは筋違いであり、事実誤認である。

(三) 本件解雇のなされたころ、訴外音成が被告に対して金銭的損害を与える事件があつたが、被告は、同人を懲戒解雇にすることなく、同人の依頼退職を認めた。他方、原告は、被告に対し金銭的損害を与えたわけではないのに、本件解雇に処せられたものであり、訴外音成の右事例と権衡を失する。

(四) 原告は、係長とはいつても、肩書きだけのものであつて、部下をもつものではなく、本件出張命令に違反したとしても、被告に対し、著しい損害を与えたわけではないから、本件解雇は、過度の処分である。

(五) 原告に対する本件解雇を決するに当たり、被告においては、賞罰委員会が開かれ、また、原告が加入する労働組合の代表者も交えて労務委員会が開かれた。しかしながら原告は、右両委員会において自己の見解を述べる機会を与えられなかつたのみならず、労働組合からの事前の事情聴取も受けなかつた。したがつて、右の経過によりなされた本件解雇は、適正手続を経たものではない。

(六) 以上のとおり、本件解雇の前提となつた本件出張命令は、合理性を欠き、かかる命令をすること自体が権利の濫用であること、また本件出張命令に従う意思のあつた原告に対して十分な説得手続をふまずに業務命令違反者として扱う事実誤認があること、本件解雇は、被告の同様の事例に対する処置と比較して著しく重いこと、原告の本件出張命令拒否により被告に対し与えた損害の程度と本件解雇との権衡が失当であること、更に、本件解雇は、適正な手続を経ていないことなどを総合すると、本件解雇は、解雇権の濫用であつて無効である。

2  被告のなした本件解雇は、不当労働行為であり無効である。すなわち、

(一)(1) 原告は、昭和三五年四月、被告に雇用され、まもなく被告の労働組合である労愛会(以下「組合」という)に加入し、昭和四五年七月までの間、勤務地であつた東京において、組合活動を熱心にし、とりわけ昭和四三年以降昭和四五年七月までの間、組合東京支部長をした。この間の原告の組合活動により、都市手当増額の実現、社宅建設の促進、文化活動、支部ニュースの発刊、組合本部役員の選挙権、被選挙権の獲得、革新政党の支持と政治問題への取組み、若年及び婦人労働者の低賃金の是正、不公正人事への抗議、婦人労働者の雇用延長の実現等がなされた。

(2) 原告は、昭和三九年以降昭和五七年まで、隔年になされた組合会長選挙に各立候補し、いずれも落選はしたものの、とりわけ昭和四九年の選挙においては、約二六〇〇票(得票率約四五パーセント)を得た。また、昭和五一年以降本件解雇まで毎年、落選はしたものの、組合大阪支部の支部長選挙に各立候補してきた。

(3) 被告は、昭和五三年以降D2P(ダイナミック、パワーアップ、プログラム)訓練を実施するようになつたが、原告は、昭和五三年九月、佐世保労働基準監督署に対し、右訓練が労基法に違反している旨を申告し、同署は、同月被告に対し、適法に訓練を実施するための改善指導をした。また、原告は、昭和五三年一〇月、自らD2P訓練を受けるに際し被告に対し、午後七時三〇分以降の自主研修は自由参加となつているので参加しない旨を告げた。

(4)ア 原告は、昭和五三年一一月以降、「むつと鞭」という文書を作成配布し、被告の経営合理化方針を批判した。

イ 原告は、昭和五三年、被告の合理化三項目の提案に対し、「佐世保の仲間に訴える」というビラを組合員に配布して反対活動をし、更に昭和五四年一月、「労愛会の仲間に訴える」というビラも配布して、反対した。

ウ 原告は、昭和五四年二月、組合代議員会に際し、「人殺し坪内合理化反対」のゼッケンを着け、被告前で座り込んだり、組合に対し、公開質問状を提出した。

エ 昭和五四年末以降昭和五五年二月の組合の合理化方針撤回のストライキに際し、組合本部は自宅待機の指令を出したが、原告は大阪営業所前において、一人でビラまきなどした。

(5) 被告は、昭和五六年一月二九日原告に対し、同年二月一二日以降同月一四日までの係長研修会に参加するよう指示をしたので、原告が、右研修の内容につき質問等したところ、被告は、昭和五六年二月二日原告に対し、右参加指示を取り消す旨を告げた。そこで原告は、昭和五六年五月大阪府地方労働委員会に対し、右研修参加拒否は不当労働行為であるとして救済申立てをしたところ(大阪府地方労働委員会昭和五六年(不)第三六号事件)、大阪府地方労働委員会は、昭和五八年五月一九日、原告の申立てをいれて、救済命令を発した。これに対し被告は、右救済命令が不当であるとして、昭和五八年五月二八日中央労働委員会に対し、再審査を申し立てた(中央労働委員会昭和五八年(不再)第二六号事件)。

(二) このような原告の労働組合活動に対し、被告は、これまで次のような不利益取扱いを原告に対しなした。

(1) 本社(東京)勤務中、仕事上差別を加えるのみならず、原告の上司、先輩を介して、原告に組合活動を中止するよう指示した。

(2) 被告は原告に対し、昭和四五年四月、本社(東京)から佐世保造船所への、昭和五〇年二月、佐世保造船所から大阪営業所へのそれぞれ原告の意に反する配置転換をした。

(3) 佐世保、大阪での勤務中、原告の立候補する本部代議員、支部長、支部代議員の選挙において、必ず対立候補を立て、原告を落選させた。

(4) 原告と同期に被告に雇用された者と比較して、正当な理由なく昇進、昇格を遅くした。

(5) 原告の参加した前記D2P訓練において、原告一人を聴講生として別室に宿泊させ、グループ別訓練であるにもかかわらず、原告一人をグループに加わらせなかつた。

(6) 大阪営業所においては、以下のとおり、原告を「職場八分」の状態にした。

ア 原告に対しては、意図的に重要な仕事を与えず、取引先工場の入門許可証の申請もさせなかつた。

イ 原告がまとめようとした商談を取り上げ、担当者を原告以外の者に割り替えた。

ウ 原告一人を営業会議に出席させなかつた。

エ 原告の使用している電話を、事実上使用できない状態におき、業務をできないようにした。

オ 前記のとおり、係長研修会への参加指示を取り消し、参加を拒否した。

(三) 以上のような、原告の労働組合活動及びこれに対する被告の原告に対する不利益取扱いからすれば、今回の本件解雇に至る被告の行為も不当労働行為であることは明らかである。すなわち、本件出張命令は、原告を北海道へ配置転換するためのものであり、そうすることにより、原告の労働組合活動及び前記中央労働委員会での審問活動を困難ならしめることを意図したものであり、したがつて、引き続きなされた本件解雇も同様の目的でなされたもので、労組法第七条第一号及び第四号に該当する不当労働行為として無効である。

六  再抗弁に対する認否

1(一)(1)ア 再抗弁1(一)(1)の事実のうち、外販事業部が昭和六〇年一〇月又は同年一一月廃止された事実は認めるが、その余の事実は否認する。

イ  外販事業部廃止の理由は次の二点にある。

(ア) 昭和六〇年度に入つて、造船不況は予想以上にますます深刻化し、外販事業部の取引先の倒産の危険性が高まつたところ、被告はもともと一流企業を取引先としてきたもので、外販事業部の対象のような零細企業を取引先とした経験がなく、被告の経営管理の面で、外販事業を継続することが適切でなくなつたこと

(イ) 造船不況による企業間の競争激化の結果、いわゆる来島グループ内の鼎商事、西日本かなえと被告外販事業部が競合することが多くなり、効率化の観点から来島グループとして一本化する必要が生じたこと

(2) 同(2)の土地勘のなかつた事実は認めるが、その余は争う。

(3) 同(3)の事実のうち、本件出張命令の告知が極めて唐突になされ、市場調査の内容方法等が原告に明示されなかつた事実及び本件出張命令の意図、目的に疑問があるとの点は否認するが、その余の事実は認める。

(4)ア 同(4)の事実のうち、原告と同時に出張を命じられた訴外藤川が、後日、釧路への配置転換を命じられた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

イ  訴外藤川が被告本社釧路駐在員として勤務するようになつたのは次の理由による。すなわち、昭和五八年一二月中旬、金指造船所清水工場が釧路地区で漁船の受注を拡大する方針を採り、このことが被告外販事業部に持ち込まれた。そこで被告外販事業部は、この漁船受注に併せて関連する舶用機械、鋼材等を同地で販売することを決め、設計部出身で甲板機械の設計に従事して船に関する豊富な知識を有している訴外藤川を右駐在員としてこれに当たらせることとしたことによるものである。

(5) 同(5)の事実のうち、原、被告間に、本件出張命令当時、その主張に係る不当労働行為救済命令再審査事件が係属していたこと、中央労働委員会での審問期日が原告主張のとおり決まつていた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(6) 同(6)の事実は争う。

(二) 同(二)の事実は否認する。

(三) 同(三)の事実のうち訴外音成に関する事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同(四)の事実のうち、原告が部下をもたない係長である事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同(五)の事実のうち、本件解雇は適正手続を経たものでないとの点を争い、その余の事実は認める。

(六) 同(六)の事実は争う。

2(一)(1) 同2(一)(1)の事実中、原告がその主張に係るとおり、組合に加入し、組合東京支部において支部長をしていたことは認めるが、原告の組合活動により社宅建設が促進された事実は否認し、その余の事実は不知。

(2) 同(2)、(3)の事実は認める。

(3) 同(4)の事実は不知。

(4) 同(5)の事実は認める。

(二) 同(二)冒頭の、被告が原告に対し、不利益取扱いをなした事実は争う。

(1) 同(1)の事実は否認する。

(2) 同(2)のうち配置転換の事実は認める。

(3) 同(3)、(4)の事実は否認する。

(4) 同(5)の事実中、原告を一人部屋に割り当てた事実は認める。

(5) 同(6)冒頭の、原告を「職場八分」の状態にした事実は争う。

ア 同アの事実のうち、原告に対し、意図的に仕事を与えなかつたとの点は否認するがその余の事実は認める。不況下で、原告のみならず他の者にも仕事がなかつたことによるものである。

イ 同イの事実中、担当者を割り替えたことがあつた事実は認めるが、「取り上げ」た旨の事実は争う。

ウ 同ウの事実のうち、原告がたまたま営業会議に出席しなかつたことは認めるがその余は否認する。係長以下は営業会議に出席しないのが原則である。

エ 同エの事実は否認する。

オ 同オの事実は認める。

(三) 同(三)の事実は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因事実中、賃金支払日が毎月二五日であることは被告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなし、その余の事実は、原告主張の平均賃金額が、通勤手当、昼食補助等諸手当を含むか否かを除き当事者間に争いがない。

二そこで、本件解雇の解雇理由の存否及び解雇権濫用の主張について判断する。

1  被告が昭和五三年六月ころ倒産の危機に直面したが、再建のため現在の代表者が被告の代表者となり、被告がいわゆる来島グループの一員となつたこと、被告が昭和五七年三月には累積債務を解消したこと、被告が昭和五八年六月には既に昭和五九年度までの仕事量を確保していたこと、被告が同年八月原告を調査員に選出したこと、原告が、昭和三五年四月京都大学経済学部を卒業して被告に入社し、昭和四五年七月には係長となり、これまで機械営業のほか企画室等において勤務し、他の二三名と共に外販事業のための研修を受けたもので、調査員選出当時手放せない特段の仕事を担当していたわけでないこと、被告が、昭和五八年八月一七日原告に対し、本件出張を命じたところ、原告がこれを拒否したこと、原告は、入社以来昭和四五年四月に、被告本社から佐世保造船所へ、昭和五〇年二月に、佐世保造船所から大阪営業所への二回の配置転換を受けたが、その際それぞれ異議を述べ、また大阪営業所への配置転換についてはその効力を争い仮処分申請をしたこと、被告が昭和五八年七月七日以降同月一〇日までの間に実施した外販事業準備のための研修会に、原告は右日程中に含まれている日曜日に私用があること等を理由に参加を拒否したこと、原告が、大阪営業所勤務中再三にわたり、労働組合活動等を理由に休暇をとり佐世保に旅行等していたが、その際、事前に休暇届を出して会社の都合をきくなどすることなく、当日郵送又は原告の妻からの電話による通報等によりその届出をして休暇をとり、また右休暇中の業務の引継ぎも書面のみでしていたこと、被告が、昭和五八年八月二二日原告に対し、被告主張に係る就業規則を適用したとして懲戒解雇の意思表示をしたこと、また、外販事業部が昭和六〇年一〇月又は同年一一月に廃止されたこと、原告には東北、北海道地区に対する土地勘が全くなかつたこと、本件出張の期間は一二日間と長期であり、また大阪から遠方への出張であるところ原告に対する本件出張命令の告知が出張日の前日になされたこと、原告と同時に出張を命じられた訴外藤川が、後日、釧路への配置転換を命じられたこと、原、被告間に、本件出張命令当時、原告主張に係る不当労働行為救済命令再審査事件が係属していたこと、中央労働委員会での審問期日が原告主張のとおり決まつていたこと、本件解雇のなされたころ、訴外音成が被告に対して金銭的損害を与える事件があつたが、被告は同人を懲戒解雇にすることなく同人の依頼退職を認めたこと、原告が部下をもたない係長であること、原告に対する本件解雇を決するに当たり、被告においては、賞罰委員会が開かれ、また、原告が加入する労働組合の代表者も交えて労務委員会が開かれたこと、原告が右両委員会において自己の見解を述べる機会が与えられず、労働組合からの事前の事情聴取も受けなかつたことは当事者間において争いがなく、被告の陸上部門の受注高が昭和五八年五月末ころまで毎年の受注計画、受注目標を下回る状態が継続していたこと、被告が同年七月二二日原告を外販部門担当員として選出したこと、被告の当初予定した外販事業の対象地が全国に及ぶところ、東北、北海道地区が、被告にとつて取引関係がなかつたのみならず来島グループ内の他の企業も同地区内においては外販事業を及ぼしていなかつたこと、原告が、本件出張命令に基づく出張予定期間中である昭和五八年八月二〇日、自ら代表者となつて住民運動として子供達のミニキャンプを実施したことは原告において、また被告が昭和五九年三月期決算において復配したことは被告において、それぞれ明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。

そして前記争いのない事実並びに<証拠>を総合すると、

(一)  被告は、昭和五三年六月ころ、倒産の危機に直面したが、経営再建のため株式会社来島どつくの代表者である現在の代表者が被告の代表者となり、被告は、いわゆる来島グループの一員となつた。

(二)  そして経営努力により、昭和五七年三月には累積債務を解消するに至り、昭和五八年三月には経営利益八〇億円、当期未処分利益約四二億円を計上した(そして後述の外販事業開始等の経営努力により、昭和五九年三月期には復配となつた)。

(三)  しかしながらいわゆる造船不況はなお継続することが予想され、運輸省は、昭和五八年春、日本の船舶建造量は、昭和五七年においては四五〇CGRT(標準貨物船換算トン)であるが、以後毎年減少し、昭和六〇年には三二〇CGRTとなるものと予測し、そのため造船各社に対し、差し当たり昭和五八年度には操業度を対設備能力比平均七四パーセントに、昭和五九年度には同六八パーセントにそれぞれ縮少するよう行政指導した。

(四)  被告においては、昭和五八年六月には、造船の仕事量自体は昭和五九年度までの分を確保したものの、低船価のため利益が期待できず、また内部留保が極めて乏しいことから、被告は、前記利益金額を内部留保にまわして株主への配当を見合わせることとし、昭和五八年度事業計画においては五八〇名余の余剰人員が生ずるものとして、これを前記来島グループに出向させた。

(五)  ところで被告は、造船部門を中心に営業し、他の陸上機械等の売買取扱い高は同業他社と比較して立ち遅れており、しかもその営業担当者数等から合理的に算出される受注目標は、昭和五七年度が機械部門一六三億円、鉄構部門一二七億円としていたところ、経営不振から昭和五八年度は、機械部門一二〇億円、鉄構部門一一五億円と引き下げざるをえなかつたが、昭和五八年五月段階で、両部門とも各約三〇億円受注目標を更に下回ることが見込まれた。

(六)  そこで被告は、昭和五八年六月ころ、右のような造船不況の継続を前提に、来島グループとして一括購入できることから比較的安価に仕入れられる鋼材のほか、中小造船所、中小船主らが必要とする舶用機器、部品、船具類、土木、建築資材、溶接材料、塗料等を来島グループ以外の企業等に販売する外販事業を計画し、その受注目標額を六〇億円として前記の機械、鉄構部門の受注減を補てんすることを目指した。

(七)  この外販事業実施に当たつては、被告の機械営業、鉄構営業の業務を合理化し、その委員を削減し、この事業のため設置される外販事業部に配置転換することとし、なお外販事業部の発足は、昭和五八年九月一日と予定した。

(八)  そして被告は、外販事業準備のため、まず昭和五八年七月七日以降同月一〇日まで、各二日ずつ二班に分けて、機械営業、鉄構営業の全担当者に対し研修をさせた。

(九)  なお、被告は、大阪営業所において機械営業を担当していた原告に対しても、昭和五八年七月九日と翌一〇日の研修(第二班)に参加するよう指示をしたが、原告は、同月一〇日は日曜日であり、振替休日を後日受けても、同日に私用(その詳細を被告には述べなかつた)があることを理由に、これを拒否し、右研修に参加しなかつた。

(一〇)  被告は更に、昭和五八年七月二二日、原告を含む二四名を外販事業担当者として選出し、右二四名に対しては、同月二五日以降同年八月一〇日まで二班に分けて、各合計一〇日間の実務研修を実施した。

(一一)  ところで被告が外販事業を実施するに当たつては、全国を四ブロック(東北、北海道地区、東京、名古屋地区、大阪、広島地区、九州地区)に分けてこれを行う予定であつたところ、東北、北海道地区は、これまで仙台支店を設けて鉄構営業をしていたが、機械営業はしておらず、また来島グループの他の企業も、同地区においては、外販事業を及ぼしていなかつた。

(一二)  そこで被告は、東北、北海道地区を外販事業の対象とすべきかどうか、仮に対象とする場合に事務所等をどこに設置し、どの程度の人数の要員を充てるのが相当か等を判断するため、同地区における造船所の新造、修繕状況、船主の建造意欲、資金状況、鋼材関係の一般的流通状況、地域の開発計画の有無、内容等を調査することとした。

(一三)  被告は、右調査のための調査員選出に当たつては、機械部門の営業経験があり、機械、舶用艤装品の一般的知識のある係長以上の者の中から、当面一〇日間程度の出張をなし得る仕事上のやり繰りがつく者で、従事の経験からして一応調査、報告能力を備えている者を対象にして選出するよう考慮し、原告のほか、大阪営業所に勤務する訴外藤川、佐世保造船所機械設計部に勤務する訴外高塚を選出した。

(一四)  ところで原告は、京都大学経済学部を卒業して被告に雇用され、昭和四五年七月から係長(昭和五〇年一〇月から人事制度改正により主任部員(係長格)と呼称が変更された)になつており、これまで機械営業を担当するほか、本社企画室、佐世保造船所調査課等で勤務しており、他の二三名と共に前記のとおり外販事業のための実務研修を受けているほか、手の放せない仕事を担当している等出張を妨げる事由は存しなかつたものであり、また、大阪営業所で外販事業担当者に選出されたのは五名いたが、大阪地区での外販事業開始のための準備は、差し当たり三名に減じられても、短期間であれば、支障がなかつたことから、大阪営業所で原告と訴外藤川の二名が右調査員に選出されたものである。

(一五)  そして外販事業発足につき中心となつて働き、外販事業部設置後は同部の部長となることが予定されていた機械営業部長北島は、昭和五八年八月一七日、被告大阪営業所長であつた小林に対し、原告及び訴外藤川に対し、右調査のための本件出張命令を伝達するよう依頼した(訴外高塚の上司である佐世保造船所機械設計部長に対しても、同日、同旨の依頼がなされた)。

(一六)  右依頼の内容は、昭和五八年八月一八日以降同月二九日まで原告ほか二名を東北、北海道地区に市場調査のため出張させる、右調査の内容等については、同月一八日、本社において調査員に対し説明するという趣旨のものであり、機械営業部長北島は、右の趣旨の文書を大阪営業所長小林らに電送するとともに、電話でも説明した。これを受けて、訴外小林は、昭和五八年八月一七日午後三時三〇分ころ、原告及び訴外藤川に対し、電送された前記文書を示しながら、本件出張命令を告知した。

(一七)  これに対し、訴外藤川は、本件出張命令に応じたが、原告は、これを拒否したことから、訴外小林は、昭和五八年八月一七日、同月一八日及び同月一九日の三日にわたり原告に対し、本件出張命令に応じるよう設得したが、なお原告がこれを拒否したため、後記の経緯もあり、訴外北島と共に、同月二二日、更に説得した。

(一八)  原告は、拒否の理由として、本件出張命令は、長期でかつ遠方への出張を内容とするところ、命令の告知時期が出発の前日であつて唐突であること、市場調査の方法、内容等が明確ではないこと、原告には東北、北海道地区についての土地勘がないこと、原告と被告との間の中央労働委員会に係属中の本件とは別件の事件審理についての障害となることのほか、原告が行つている住民運動等(西宮市における常磐公園を守る会、甲子園浜埋立反対運動、関西新空港建設反対運動、中国語講座の教授)の障害となること等を挙げたが、最終的には、本件出張命令は東北、北海道地区への配置転換の前提であることが明らかであるから、右配置転換をしない確約を与えない限り、拒否する旨を述べた。

(一九)  これに対し訴外小林らは、営業を担当する者は、業務の性質上、即刻出張を命じられることもあり、本件出張命令は、翌月一日に設置予定の外販事業部のための市場調査を目的にし、緊急性が高く、唐突ではないこと、調査内容等は、本社において明らかにされること、一般的な調査であるから、土地勘は必要ではないこと、中央労働委員会の調査期日は、昭和五八年九月一六日であるところ、出張は同年八月二九日までであるから特段の支障はないこと、住民運動に支障が出ることは本件出張命令を拒否する事由とはならないことなどを述べ、原告に対し、本件出張命令に応じるよう説得した(なお、被告においては、東北、北海道地区に土地勘を有する従業員は少なかつた)。

(二〇)  なお、原告が本件出張所命令に応じる機会を与えるため、訴外小林は、訴外北島に対し、本社への集合期日を昭和五八年八月一八日から同月一九日に延期されるよう要請してその承諾を得、また、勤労部長である訴外三甲野から、別件についての中央労働委員会での審理に不利益を与えないよう今後とも配慮するとの回答を得、これを原告に伝えた。

(二一)  また、本件出張命令のなされた時期において、訴外北島は、少なくとも、関東、中部地区、関西、中国地区、九州地区の各外販事業の責任者(ブロック長)をそれぞれ、訴外市原、訴外天満、訴外谷口に担当させる構想をもつていたが、そのほかの構成員をどのようにするかは未定であり、まして東北、北海道地区については、原告らの調査結果によりこれを決することとなつていた。しかしながら原告は、訴外小林らの説得に応じず、前記のとおり、最終的には、東北、北海道地区への配置転換を今後ともしないとの確約がなければ本件出張命令に応じない旨言明した。

(二二)  ところで原告は、昭和三五年四月入社して以来、昭和四五年四月に本社(東京)から佐世保造船所へ、昭和五〇年二月に佐世保造船所から大阪営業所への二回の配置転換命令を受けたのみであるが、右命令に対しいずれも労働組合活動への妨害等を理由に異議を述べ、特に後者の場合、右配置転換命令が不当労働行為であるとして地位保全仮処分申請事件(長崎地方裁判所佐世保支部昭和五〇年(ヨ)第一二号事件)を提起してこれを争つた(昭和五〇年二月二四日却下)。

(二三)  また原告は、前記(九)のとおり、昭和五八年七月九日と翌一〇日になされた研修への参加を私用を理由に拒否した。

(二四)  更に被告は、大阪営業所勤務中、昭和五一年以降昭和五七年まで、隔年に行われた組合会長選挙に立候補したが、右選挙活動のため、休暇をとつて佐世保に旅行する際、事前に上司に面会して休暇届を手交して会社側の都合をきくことが可能であるにもかかわらず、休暇の前日夕方ころ、休暇届を郵送し、また当日、原告の妻が電話で被告に右届の到着を確認する等の方法で届出をし、休暇中の業務の引継ぎについても、一方的に書面で被告に連絡する方法を毎回とつてきたもので、とりわけ昭和五一年における右届出は不相当であるとして、昭和五二年度の昇給査定において平均を下回る査定をされ、原告に対する事実上の注意がなされたにもかかわらず、これを改めず、従前どおりこれを継続していた。

(二五)  そして原告は、本件出張命令につき被告から説得を受けている最中の昭和五八年八月二〇日夕刻、自らが代表者となつている「常磐公園を守る会」の企画として、西宮市常磐町の私有地において、地域の子供を集めてミニキャンプを開き、同地を公園として存続させる住民運動を行い、右の運動が同月二一日の新聞において紹介された。

(二六)  勤労部長三甲野は、訴外小林から、昭和五八年八月一九日、原告が本件出張命令を拒否しているとの報告を受け、また原告の右のような一連の行為を背景に今回の拒否を検討すると、原告に対し、何らかの懲戒をする必要があると考えた。

(二七)  右懲戒のため、まず被告本社において賞罰委員会が昭和五八年八月二〇日に開かれ、同委員会は、陸上部門における不況に対する積極策として取りあげた外販事業部の設置は当然その必要性があり、したがつて、右設置へ向けての本件出張命令はその必要性のみならず緊張性もあること、そして原告は、他に範を示すべき係長でありながら、特段の正当な事由がないにもかかわらず、右のような本件出張命令を拒否したものであり、その他原告の従前を併せ考慮すると、今回の拒否は、就業規則第六九条第一三号所定の、「その他諸規則、達示に違反し、その情状特に重いとき」及び同条第一四号、第六八条第四号後段所定の、「上長の指揮命令に反抗し職場の秩序を乱し、その情状特に重いとき」に各該当するものとして、訴外小林、訴外北島において更に原告を説得し、それでも原告が拒否するときは、原告を懲戒解雇とする旨決した。

(二八)  また被告と組合との協約上、被告が組合員に対し賞罰を与えるについては、事前に、被告、組合それぞれが選定した委員からなる委員会(労務委員会)を開いて、その意見を徴することとなつていることから、昭和五八年八月二二日、佐世保において労務委員会が開かれたが、同委員会も、更に原告を説得して、なお原告がこれを拒否するときは、懲戒解雇とすることを了承した。なおこれらの賞罰委員会、労務委員会開催に当たつては、特段の規定がないことから、別途に原告の意見を徴する機会はもたれなかつた。

(二九)  そこで訴外小林、訴外北島は、前記のとおり、昭和五八年八月二二日、原告に対し、更に説得を試みたが、原告がこれを拒否したので、訴外小林は、同日原告に対し、本件解雇の通知書(被告と組合との協約により、懲戒解雇については、二四時間以前に解雇通知をすることになつていることから、本件解雇は、同月二三日付けでなされたものである)を交付するとともに、解雇予告手当二九万四八七〇円を交付しようとしたが、原告は、解雇通知書のみ受領し、解雇予告手当は受領しなかつた。

(三〇)  原告の本件出張命令拒否に伴い、被告は、昭和五八年八月二二日夜、原告の代わりに名古屋営業所主任部員(課長格)の訴外谷口(前記(二一)のとおり、後日、九州地区のブロック長となることが構想されており、九州地区の市場調査をしていた)を派遣した。

(三一)  この調査の結果、とりわけ北海道は、将来性を感じさせるものがあつたが、当時の魚価の点等で、船主の建造意欲に問題があり、外販事業だけでは商売にならない状態にあることから、昭和五八年九月の外販事業部設置に当たつては、取りあえず、外販事業部の中に、東北、北海道地区を独立のブロックとして扱わないこととした。そして、東北地区は、被告の仙台営業所において、外販事業を行い、北海道地区は、本社外販事業部から必要に応じ直接に課長等が出張して外販事業を行つていた。

(三二)  ところで昭和五八年一二月になつて、来島グループに属する金指造船所清水工場が、従事同工場で扱つていなかつた北海道釧路地区の船主から漁船の受注をしたい意向を持つようになり、このことが被告に知らされたことから、被告において、急きよ釧路に駐在員を一名常駐させ、右受注のための営業活動をするとともに、舶用品、鋼板等を売る外販事業をすることとした。そして外販事業部に属するようになつた前記訴外藤川は、従前鋼板機械の設計をしたり、船に関する知識が豊富であつたことから、被告は、そのころ、訴外藤川を、本社釧路駐在員の資格で、大阪から配置転換させ、前記釧路地区の業務に従事させた。

(三三)  このようにして被告の外販事業部は発足したが、もともと来島グループ内で外販事業をしていた企業として、鼎商事、西日本かなえ(被告の元資材部従業員が出向して外販事業をしている企業)があるところ、これらの企業との競合については、被告が外販事業を構想するときから検討されていた問題点であつたが、実際に被告が外販事業部を発足させ、外販事業を開始すると、右競合が各所で生じ、来島グループ全体としての効率性の面で相当でないと考えられるに至つた。

また外販事業の取引先は、大手企業よりも中小企業の方が多数であるところ、不況の継続から、これらの企業から得た手形の回収など債権管理が困難となつてきたが、被告は、もともと大手企業を取引先として業務を運営してきたため、これらの債権管理は不得手であり、この意味でも被告が外販事業部を維持することは問題となつた。

そこで被告は、昭和六〇年一〇月又は同年一一月ころ、外販事業部を廃止して、業務を前記の鼎商事、西日本かなえ等に移し、従業員も多数これらに出向させた。

(三四)  ところでこれまで被告においては、出張命令を拒否された事例はなく、したがつて右拒否を理由とする解雇の事例はなかった。

(三五)  もつとも近時、被告の従業員であつた訴外音成が、被告に対し、金銭上の損害を与えながら、依願退職扱い(ただし退職金は出なかつた)で退職した事例があつた。しかしながら訴外音成は、被告に対し損害を与えたことは認めて自ら退社届を出しており、本件のようにそもそも解雇事由を争つている事例とは必ずしも同一には論じられない。

以上の事実が認められ<証拠>中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2 そこで右認定事実に基づき検討するに、被告は、ようやくにして倒産は免れたものの、なお運輸省からの行政指導にも明らかなように、不況が継続することが予測される事情の下で、人員の配置転換等を図りながら、不況対策として外販事業部の設立を企画、開始したものであり、このような被告の、経営の多角化により不況を乗り切ろうとする経営上の判断には相当性が認められることはいうまでもないところである。そして、前記(三三)認定のような事情でたまたま後日、被告の外販事業部が廃止される結果となつたとしても、それゆえに外販事業部を企画等したこと自体の相当性が覆るものではない。そして外販事業開始に当たり、いまだ取引関係の薄い東北、北海道地区において、事前に市場調査をして、同地区において営業可能かどうかを明らかにすることは、経営上当然になされべき事柄であり、右調査をするにつき業務上の緊急な必要性があつたものといわねばならず、現に、原告が本件出張命令に対し拒否をするや直ちに訴外谷口が原告の代替要員として派遣されていることからも、このことは明らかである。そして右調査報告するに当たり調査員に求められる能力等と原告のこれまでの学歴、職務歴、研修歴、及び原告の担当事務の繁忙性等を比較検討するならば、その能力ありとして原告を右調査員に選出したことについても十分な根拠と合理性が認められるのである。

ところで、原告と共に東北、北海道地区の調査員に命じられた訴外藤川は、後日、釧路駐在員となつたがこのことをとらえて、原告は、本件出張命令は原告を同地区へ配置転換させるための伏線である旨主張するが、訴外藤川の右配転は前記(三二)認定のとおり、来島グループ内に生じた後発的事情に基づくものであり、また訴外藤川が右駐在員に選任された趣旨も同人の経験、知識によつたものであるから、右事実をとらえて、本件出張命令が次なる配転を目的とした命令であると解するのは単なる偏見といわざるを得ない。

次に、本件出張命令に対する原告の拒否事由につき判断すると、まず本件出張命令が出張直前になされた点については、外販事業の構想は予め決まつており、そのための市場調査も事前に決定されていたものと推認され、翌日からの出張を命じることの妥当性には疑問の余地が残るものの、出張に要する期間は、長期間とはいえ、配転と違つて一二日間にすぎず、市場調査についての前記業務上の必要性、緊急性を併せ考慮するならば、原告としては通常受忍すべき範囲内にあつたものというべきであること、調査方法、内容等の不明確さについては、そのために出張途中に本社に立ち寄ることが求められており、同所で適切な指示が与えられることが予定されていたこと、東北、北海道地区についての土地勘がないことについては、右調査は、必ずしも土地勘を必要とするものではなく(被告は、遠隔地である同地区での取引がなかつたため、同地区に対する土地勘を有する者がそもそも少なかつた。)、原告に対し、その能力以上の調査までも期待するものではなかつたこと、中央労働委員会に係属している事件の審理については、その期日が本件長期出張命令の終期より二週間以上も先のことであるばかりか、前記(二〇)認定のとおり、被告において同委員会での審理について応分の配慮が払われていたこと、また原告の住民運動等が制約されるとの点については、仮に制約されるとしても個人生活上著しい不利益を被るものと評価することができないこと、その他本件出張命令に従うことにより被る不利益について主張立証のないことからすると、本件出張命令を拒否する相当な理由があるとは解されず、原告主張の拒否事由は、いずれも合理性を欠くものといわなければならない。そして原告は、最終的には、自己が北海道等に配置転換されない旨の確約がない限り、本件出張命令には応じない旨を明言するに至つているが、このような人事上の特権の付与を出張命令承諾の条件として求めることは、原告が別件につき地方労働委員会で救済命令を受け、右事件につき中央労働委員会で再審査被申立人となつていることを考慮したとしても、なお一方的要求であり、その相当性を欠くものというべきである。

そして右のような本件出張命令を出すに当たつて被告のおかれていた事情、その事情の下での本件出張命令の必要性と人選の合理性、原告の学歴、職務歴及びこれに基づく原告の被告内における地位等のほか、原告と被告との本件出張命令についての交渉の経緯をみるならば、被告は、原告の要求に対し、可能な限り誠実に応対していること、原告のこれまでの勤務態度は、自己及び組合活動上の権利主張に熱心なあまり、やゝ独善的で協調性に乏しく被告への協力的態度に欠けていると解されてもやむを得ない面があること等の諸事情を考慮するならば、原告の本件出張命令拒否が、前記就業規則に該当するものとしてなされた本件解雇の判断は十分に合理性をもつものであり、手続上も十分な手当がなされており、特段の問題はないものといわねばならない。他方、原告の、右のような就業規則該当事由を考慮するならば、本件解雇をもつて解雇権の濫用に当たるものとすることは、到底できない。

三最後に、本件解雇が不当労働行為に該当するか否かについて判断する。

1  再抗弁2(一)の事実中、原告がその主張に係るとおり、組合に加入し、組合東京支部において支部長をしていたこと、原告が昭和四九年以後昭和五七年まで、隔年になされた組合会長選挙に各立候補し、いずれも落選はしたものの、とりわけ昭和四九年の選挙においては、約二六〇〇票(得票率約四五パーセント)を得たこと、原告が昭和五一年以降本件解雇まで毎年、落選はしたものの、組合大阪支部の支部長選挙に立候補してきたこと、被告が昭和五三年以降D2P(ダイナミック・パワーアップ・プログラム)訓練を実施するようになつたが、原告が昭和五三年九月、佐世保労働基準監督署に対し、右訓練が労基法に違反している旨を申告し、同署が、同月被告に対し、適法に訓練を実施するための改善指導をしたこと、また原告が、同年一〇月、自らD2P訓練を受けるに際し被告に対し、午後七時三〇分以降の自主研修は自由参加となつているので参加しない旨を告げたこと、被告が昭和五六年一月二九日原告に対し、同年二月一二日以降同月一四日までの係長研修会に参加するよう指示したので原告が、右研修の内容につき質問等したところ、被告が同年二月二日原告に対し、右参加指示を取り消す旨を告げたこと、そこで原告が、同年五月大阪府地方労働委員会に対し、右研修参加拒否は不当労働行為であるとして救済申立てをしたところ、大阪府地方労働委員会が、昭和五八年五月一九日、原告の申立てをいれて救済命令を発したこと、これに対し被告が、右救済命令が不当であるとして同月二八日、中央労働委員会に対し再審査を申し立てた事実は当事者間に争いがなく、また<証拠>によると、原告の組合東京支部における組合活動により、社宅建設が促進された事実を除くその余の事実(「むつと鞭」「佐世保の仲間に訴える」「労愛会の仲間に訴える」という文書を作成配布したこと、「人殺し坪内合理化反対」のゼッケンを着けて座り込んだりしたこと、合理化方針撤回のストライキに際し原告一人でビラまきなどしたこと)は、これを認めることができる。

なお右社宅建設については、<証拠>によると、原告が組合東京副支部長時代に、支部の要求として被告に対し、社宅の建設促進を申し入れたことを認めることができるが、他方、被告としては、昭和四〇年末ころから、右支部の要求とはかかわりなく、自社の企業運営のため、社宅建設の必要を感じ、そのための土地の購入準備資金手当等の作業に着手していたことを認めることができるのであるから、右社宅建設を原告の労働運動の成果とすることはできないものである。

2(一)  右1項判示の原告の労働組合活動を嫌悪し、被告が原告に対し不利益な取扱いを加えたとの主張事実(再抗弁2(二))については、中央労働委員会に係属している前記係長研修参加の指示を取り消した事実を差し置くと、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りないものである。

(二)  すなわち、前記係長研修会参加指示取消しの事実を除くその余の再抗弁2(二)の事実中、被告が、原告の本社勤務中、原告に対し、仕事上差別を加えたのみならず、原告の上司、先輩を介して、原告に対して組合活動を中止するよう指示したこと(再抗弁2(二)(1))、原告の立候補する本部代議員、支部長、支部代議員の選挙において、必ず対立候補を立て原告を落選させたこと(同(3))、原告の大阪営業所における勤務中、原告の使用している電話を事実上使用できない状態におき、業務をできないように妨害したこと(同(6)エ)については、<証拠>中に一部これにそうかのごとき部分があるが、右証拠のみでは未だ右事実を認めるに至らず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

また、被告が、原告と同期に雇用された者と比較して、正当な理由なく原告の昇進、昇格を遅くしたとの事実(同(4))についても、<証拠>によるとこれにそうかのごとき部分があるが、<証拠>に照らして判断するときは、未だ右の事実を認めるに至らず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(三)(1)  被告が原告に対し、昭和四五年四月、本社から佐世保造船所への、昭和五〇年二月、佐世保造船所から大阪営業所への、それぞれ配置転換をした事実(同(2))は当事者間に争いがない。

しかしながら<証拠>によれば、右配置転換については、それぞれ十分な業務上の必要性、合理性があつたことが認められるのであり、<証拠>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2)  原告が参加したD2P訓練において、被告が原告を一人部屋に割り当てたことは当事者間において争いがなく、またその際、原告が聴講生として扱われたこと、グループ別訓練であるにもかかわらず、原告一人、グループに加わらせなかつたこと(同(5))は被告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

しかしながら<証拠>によれば、原告は、前記のとおり、午後七時三〇分以降の自主研修には参加しない旨明言し、講師等の参加要請も拒否したものであるところ、D2P訓練は、もともとグループ単位の訓練が基本となるものであることから、研修方針に対しグループ参加者中一名でも独自の見解をもつ者が加わると当該グループの研修の実があげることが困難になり、ひいては、他のグループにも多大な影響を与えることから、原告一人を別室に宿泊させ、また聴講生として原告の希望する研修部分には自由に参加を許したことが認められ、<証拠>中右認定に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、被告の執つた右措置には、何ら非難されるべき点はない。

(3)  最後に、大阪営業所において、原告に対して重要な仕事を与えず、取引先工場の入門許可証の申請もさせなかつたこと(ただしこれらを被告が意図的にしたことは争いがある)、原告がまとめようとした商談につき担当者を原告から原告以外の者に割り替えたこと、原告がたまたま営業会議に出席しなかつたこと(同(6)ア、イ、ウ)も当事者間に争いがない。

しかしながら<証拠>を総合すると、

ア まず、原告が大阪営業所において重要な仕事を与えられなかつたことについては、当時被告の受注高が急減しており、とりわけ大阪営業所において原告の担当していた産業機械部門においてはそれが顕著であつたことから、上司としても、原告に対し可能な限り取引先を紹介するほか、原告自らの営業努力に期待する状態にあつた。

イ 次に工場の入門許可証については、たまたま原告は、入門に当たり当該工場の右許可証の持参を必要とする取引先を担当してはいなかつたことによるものであり、大阪営業所のすべての者に右許可証が発行されていたわけではなく、また、仮に原告が右工場に入門し取引をする必要性があるときは、右許可証がなくても、所定の手続をすることにより入門可能であつた。

ウ また商談の担当者割替えは、訴外新明和工業に対するストレッチフォーミングマシン納入の件であるが、これは、原告が昭和五三年末ころいわゆる合理化三項目反対闘争等のため、再三にわたり、集中して休暇をとつて佐世保に旅行したため、取引先に迷惑をかけないよう配慮してなされた割替えであつた。

エ そして営業会議欠席の件も、元来右会議は、課長以上が出席するもので、係長等は、たまたま当該会議の議題に関係ある取引等を担当しているときに出席を求められるものであるところ、原告が大阪営業所在勤中開かれた右会議は、たまたま原告の取引活動等と無関係な議題を審議したため、原告の出席が求められなかつたものであつた。

以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らし採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3 以上に判断したところによれば、原告は、被告にとつて、組合活動の名の下、被告の意にそわない存在であつたことは一応推認できるものの、既に検討したとおり、本件出張命令は、不況を乗り切るため企画した外販事業にとつて、高度の業務上の必要性と緊急性を有していたものであり、人選にも合理性に欠けるところがなく、それ自体原告の組合活動はもちろん、その他の点においても原告に対し特段の不利益を与えるものではなく、これに対し、本件出張命令及び本件解雇の時期、それに至る経緯をみれば、本件解雇が右業務命令違背に籍口して原告の入社以来の組合にかかる所為に対し、又は、特に被告との間で係争中の中央労働委員会に係属中の別件の事件に対し、不利益な取扱いをする意図をもつてなされたものであると認めることは到底できないものであり、仮に前記係長研修参加指示取消しの事実が不当労働行為に該当するとしても、右判断を覆すに足りないものである。

したがつて原告の不当労働行為の主張は、これを認めるに足りないものである。

四以上の次第で、原告の本訴請求はその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官中田耕三 裁判官北澤章功 裁判官波床昌則は、転官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官中田耕三)

別紙被告就業規則(抄)

第六八条 つぎの各号の一に該当するときは、情状によつてけん責または減給に処する。

4 正当な理由なしに労働時間中みだりに職場を離れ、または上長の指揮命令に反抗し職場の秩序を乱したとき。

第六九条 つぎの各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。ただし、情状により出勤停止または減給に止め、もしくはこれを併科することがある。

13 その他諸規則・達示に違反し、その情状とくに重いとき。

14 前条各号の一に該当し、その情状とくに重いとき。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例